共同体論


8月15日、命をつなごうとした思い

ここ数年、8月15日は近くの護国神社に参拝することにしている。たいていは大阪の護国神社なのだが、京都や神戸の護国神社に参拝したこともある。子供は嫌がることもあるが、教育の根っこのひとつだと思っているので無理矢理連れて行く。

韓国はなぜ歴史問題で嘘をつくのか?(1)

最近出版された拓殖大学の呉善花教授の『韓国併合への道 完全版 』を読んでいる。日韓の近代史が史実にもとづいてコンパクトにまとめてあってお薦めの書である。2000年に発行された前の版を買って読んだが、完全版は「日本の統治は悪だったのか」「反日政策と従軍慰安婦」の二章が増補されていたので買ってみた。

できるだけイデオロギーを排除しようとする姿勢に好感が持てる。このあたりが同じ新書版の歴史概説書でありながら、共産主義者のプロパガンダ書である梶村秀樹氏の『朝鮮史 』とは全く違う。


右翼思想も設計主義である

少し前に書いた保守派の設計主義批判は的外れではないか?という話の続き。

保守派の人たちが、左翼系の人たちを設計主義者として批判するのに疑問を持った文章を書いた。「現実社会の欠陥を直すために、理想的な社会を設計して、それを実現すべきである」というのは、右翼思想家の理想とする社会を実現しようとするのと、構造的に全く同じものだからだ。


保守派の設計主義批判は的外れではないか?

保守系論壇で、設計主義という用語が流行っている。設計主義とは「知識人の考えた理念に基づいて社会が設計されるべき」という思想と解釈されていて、左翼思想の批判に使われる。

現実は理想よりもはるかに大きい

前回の日記で、「現実は理想よりもはるかに大きい」と書いたが、少し補足しておこう


保守的はいけないことなのか?

前回の記事、共同体の闇は無理解から生じるを読んでくださった友人から、「じゃぁ変化しないことは良いことなのか」「時代に合わせて変えていかなくてもいいのか」「差別的な制度はどうするのか」等々の感想をいただいた。もっともなご指摘だ。しかし、ここでちょっと思いとどまって、いろいろ考えてみたい。


共同体の闇は無理解から生じる

前回の日記の最後に、「「家族に帰れ」「共同体に帰れ」といっても、この共同体の闇を乗り越える意識を私たちの中に作らない限り、家族や共同体に帰ることも守ることもできないであろう。」と書いた。「この共同体の闇」とは個人の自由を抑圧することであるが、それを肯定的にとらえる面もあるので、この続きを書こうと思っていたら、佐渡の田舎にお住まいで同業の萩原先生から、重要な指摘をいただいた。少し先を越されてしまった。


家族と日本の再生の一年に(2)

前回、日本人の今年の課題は、「家族に帰れ」「共同体に帰れ」ではないか、という話を書いたが、これには克服しなければならない大きな課題がある。それは日本人の古層にある闇の意識だ。


家族と日本の再生の一年に(1)

あけましておめでとうございます。

年が明けて10日ほど経って、やっと今年初めての投稿だ。大晦日から治療院のHPと、このブログのリニューアルをしていた。サーバを変更したので大きな作業だった。まだまだ修正が必要だが、最低限の目処がついたので、他のブログに更新作業ができるようになった。