瞑想法


瞑想修行の魔境対策の理論書メモ(1)

12月に友人が企画したお坊さんの修行体験を聞く座談会を聴講させていただく予定です。座談会のテーマは、「修行に伴う可能性と危険性」ということで、修行の目的と神通(法力)や魔境あたりがとりあげられるみたいです。魔境とは、霊的成長をはばむいろんな障害です。大半は自分の心の反映なのですが、神通力が出てくるとそれに捕らわれるとか、カルマが動いて病気になるとか、異性と問題を起こしたりなんていうのも魔境の一種です。霊的成長にしたがって、魔境も大きくなります。


無意識的瞑想と意識的瞑想

仕事を終えてから瞑想関係のHPを見ていたら、アメリカで作られた有名な流儀の日本支部長さんが瞑想を誘導する音声ファイルがアップされていたのを見つけたので聴いてみた。
ヒーラーさんの声に耳を傾け、聴く人の意識を神々の意識と結びつけるタイプの誘導瞑想だった。ヒーラーさんの声は「催眠声」だったので、声に意識を集中していると、すっかり寝てしまった。これじゃぁ瞑想にならないね。


瞑想の核心部分の構造4

前回では止観の行の意味を考えてみた。仏教では止・観、どちらも流派によっていろんなテクニックが残されている。

少し前に取り上げた井筒俊彦先生の「神秘哲学」の序文に以下のような文がある。在家の禅者であったお父上から習った内観法なのだが、これが禅的な、とてもシンプルな止観法なので、ちょっと見てみよう。


瞑想の核心部分の構造3

前回の 法(dharma) 有法(dharmin)にもとづく空観のアイデアの基本は、インド仏教学・密教学がご専門の宮坂宥洪先生の『真釈 般若心経』と、シュタイナーの四大著作をもとに考えたものだ。宮坂先生の『真釈 般若心経』は一般向けの般若心経解説本としては、もっともすぐれているもののひとつなので、一読をお勧めします。

前回は智慧の主体に有法を設定し、法によって有法が規定された意識が無明だとし、無明を脱するには法と有法を分離することだと書いた。法と有法の定義や関係は、諸宗教・諸宗派によって違ってくるけれども基本的構造は前回書いたようなことだろう。


瞑想の核心部分の構造2

前回にちょっとまとまらなかったので、瞑想の基本構造について少しまとめてみよう。

西洋人は一般的に「AはBである」という文法でものごとを考え始めるが、インド人はちょっと変わっていて「AにおいてBがある」という文法で物事を考え始める。インドのサンスクリット語では、Aをdharmin、Bをdharmaという用語をあてはめる。昔の中国で仏典が漢訳されたときdharminに有法、Bにdharma という用語があてはめられた。サンスクリット語で、有法(dharmin)は保有者、法(dharma)は保有されるものという意味だ。西洋哲学のイデア論にちょっと似ていて、有法がイデア、法がイデアの属性に相当する。


瞑想の核心部分の構造1

先日、シュタイナーの瞑想法理論を学ぶ講習会に参加し、シュタイナーというよりも、すべての瞑想法に通底する基本構造を学んだ。10代の頃から瞑想法の勉強をしてきて、基本的なことは知っていたんだけど、今回の講習会で学んだことと、瞑想体験が深く結びついて、明確になって、うれしくなった。