桜と散華

桜と散華

今日は午前中休みだったので、近所の公園に家族で花見に行ってきた。
子供たちが遊んでいる間、桜を見ながらこんな詩を思い出していた。


懐かしの町 懐かしの人
今吾れ すべてを捨てて
国家の安危に 赴かんとす

悠久の大義に生きんとし
今吾れここに突撃を開始す

魂魄国に帰り
身は桜花のごとく散らんとも
悠久に護国の鬼と化さん

いざさらば 我は御国の山桜
母のみもとにかえり咲かなむ

#海軍中尉 緒方 襄
#神風特別攻撃隊・神雷桜花隊、昭和20年
#3月21日、沖縄周辺海域にて戦死、23歳

桜と散華

春休みの平日なので、子供たちとママ友があつまって、花見をしている。私のような感傷的なことを考えている大人は他にはいないだろう。それでいい。だが、自分や子供たちの今の人生は、多くの先祖のの苦しみと犠牲の上に築かれたものであることをどこかで覚えておきたい。

桜と散華

桜と散華

桜と散華

桜と散華

桜と散華

桜と散華


散る桜 残る桜も 散る桜

良寛の句として有名だけれども、特攻隊員が自分の境遇にあてはめ、遺書に良く引用していたようだ。


桜と散華

 散る桜 残る桜も散る桜 散って護国の花と惜しまん

 嵐吹けば 蕾桜も惜しからず 手折りて捧げん 大君のため

 仇し船 うち沈めてぞ地獄なる 鬼へ与えん 我が手土産を

 すめろぎの 大和島根よ安かれと 南海深く 身は沈みつつ

※海軍中尉  中西達ニ (神風特攻・常盤忠華隊)
※大正12年5月25日生まれ。海軍兵学校72期。
※昭和20年4月12日、南西諸島ケラマにて戦死。22才

この句を残して散華された中西中尉は、句の前にこんな遺書をしたためておられる。

出撃の前日、南九州某基地にて私の雑感雑念をしたためて、御両親様へ不孝をお詫びする次第であります。

生をうけてここに20有2年、その間を回顧すれば限りなし。誰のためにもあらず唯御両親さまに育まれて今日に至りました。あぁ我その御恩に報ゆること何一つなし、万感交々(こもごも)至り筆進まず。

大日本帝国の危機いよいよ到来しました。この時に当り私は出撃を望み、選ばれて特攻隊員となりました。私の宿願ここに達せられ無上の光栄に思っています。

畏れ多くも天皇陛下より『南西諸島の戦闘は、我が国の存亡にかかわる戦いであるから、全力をあげてその目的を達成せよ』とのお言葉をいただきました。連合艦隊司令長官は彼のZ旗をあげられました。この時体当たり部隊の一指揮官として出撃する私の本懐、これに過ぎるものはありません。

父上・母上泣いてください。いくら泣いてもよろしい、泣いて私を弔って下さい。父上・母上私の本懐を察してください。その昔姉の言った言葉、私は未だ忘れてはいません。姉も墓の下で私を待っていてくれることと思います。

現在の私には何等心残りはありません。唯父上・母上にたいする不孝と不忠、父上・母上の悲しみが気にかかります。父上にも母上にも私の死は最大の悲しみだろうと思います。悲しんで戴ければ私も安心して出て行ける思いがします。

がしかし、私は決して死にません。悠久の大義の道にいつまでも歩みを進めています。そして必ず皈(かえ)って来ます。あの靖国神社に護国神社に、又、父上・母上の枕元に。山口にも既に桜が咲いていると思います。明日散る桜が私だと思ってください。私はかって「忠花」という名前をつけました。忠花が明日散るのです。或いは未だ開かずに散るのかも知れませんが、私の隊は出来れば「忠花隊」と名づけたいと思っています。

山口のあの山、この川、あの道、この家、今眼前に次々と映じてきます。先日こちらに来る際山口の上空を旋回して、皆にお別れをしようと思いましたが、エンジンが少し悪くなったので宇佐に降りて修理したために、時間がなくなって山口まで行けなかったのが残念です。しかし大島郡を眼下に見て、方便山も遙か彼方に見て、確かに機上で皆にお別れをした気でいます。

不忠の臣、達二は今ここにようやく忠義の大道に、取り付こうとしています。しかし未だ忠の道は深遠です。不忠の臣達二が不忠の臣で終わるのは当然であり、私は満足であります。私は教官となって以来、出来るだけの努力をして御奉公を続けてきました。私は全力を尽くして御奉公をし得たと信じて今満足しています。今出撃するに当り、多くの人から惜しまれる私は実に幸福と思います。短かった人生を、私ほど運良く華やかに過ごした者は少ないだろうと感謝しています。多くの人々のおかげです。

明日私は11時20分、魚雷と同じ大きさの爆弾を抱えて、後ろに予備学生出身の田沢少尉と予科練出身の安部ニ等飛行兵曹とを乗せて出発します。後日新聞社からか、もしくは大本営からか、3人で一緒に撮った写真が届くかもしれませんが、そのときは一緒に弔ってやってください。又私の隊の中には上羽坂の滝本少尉(恭三と同級の滝本君の兄さんで、私よりも附属の時も山中の時も一年上級だった人です)が一緒に行きます。かっての上級生ではありますが、今では私の部下となって喜んでついてきてくれます。ともに秋枝中佐に負けまいと約束しています。私もあと20日で大尉に進級するのでありますが、死んで中佐になろうと、少佐になろうと、階級はどうでも宜しい。大義の道には変わりなく敢えて進級など望みません。

私は父上・母上から宗教心を持つように言われましたが、何もこれとて考えませんでした。しかし今別に迷いません。ただ後で体当たりをするときに、寸前にどんな気持ちになるかが気にかかります。これも父上・母上の言われる通りにしなかったためだと後悔しています。迷わぬために歌でもうたって体当たりしてやろうと思っています。

我に天祐神助あり、必中轟沈の確信があります。どうか4月10日前後の戦果をもう一度見てください。その中には私が沈めた空母が一隻ある筈です。

先日多数の同期生と教え子の者が第一陣をうけたまわって、特攻隊として出て行き大戦果を挙げましたが、みんなニッコリと笑って元気に、私に挨拶をして出て行きました。今度は私がニッコリ笑って元気に出て行く番です。私たち3人がドカンとやれば、何千人かの米軍が道連れに地獄まで来てくれるかと思えば実に愉快です。

人生にこれ程胸のすくことはないですよ。明日の出撃はよくよく考えて見ると、実に楽しい気がします。こんなに嬉しく出て行ける私は又幸福者と思います。

さて最後に一つ、父上様、私は辛うじて家門を汚しはしなかったと確信しています。むしろ衰えかけた中西家の誉れを、一部分取り返し得たと思います。後は恭三に頼みます。恭三もきっと立派にお国の為に働いてくれるものと信じます。

父上には失礼かも知れませんが、私は中西家の断絶をいといません。〝家滅ぶとも国全ければ悔いなし〟という考えであります。今、国の危機です。我が大日本帝国が滅んだとしたならばどうなる、と思うとき、家はどうでもよいという感を深くします。

我が国に於いては家だけでは成り立ちません。我が国に於いては国家があってはじめて成り立ちます。我が中西家は父上一代で断絶するとも、どうか父上お許し願いたいと思います。

あぁ、とりとめもなく唯思いつくまでに、書き連ねました。一応これで筆をおきます。

父上・母上様の莫大なる御恩に、体当たりの一事を以ってお報いする覚悟であります。どうか御両親様益々御自愛されて御多幸ならんことを地下よりお祈りいたします。



     (2015年04月02日:
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