瞑想の核心部分の構造3

前回の 法(dharma) 有法(dharmin)にもとづく空観のアイデアの基本は、インド仏教学・密教学がご専門の宮坂宥洪先生の『真釈 般若心経』と、シュタイナーの四大著作をもとに考えたものだ。宮坂先生の『真釈 般若心経』は一般向けの般若心経解説本としては、もっともすぐれているもののひとつなので、一読をお勧めします。

前回は智慧の主体に有法を設定し、法によって有法が規定された意識が無明だとし、無明を脱するには法と有法を分離することだと書いた。法と有法の定義や関係は、諸宗教・諸宗派によって違ってくるけれども基本的構造は前回書いたようなことだろう。

有法・法を人間にあてはめた場合、有法は修行によって獲得すべき智慧の主体である。智慧を獲得したときの有法(=明知)と法の関係は、智慧の主体が法を空と観じている明知が、法に対して能動的な意識状態になっている点である。逆に無明は法によって有法が規定されている受動的状態である。このことから、修行の目的は、能動的な意識状態を獲得することにある。

能動的意識状態を獲得するにはふたとおりある。

ひとつは、意識をひとつのことに集中することだ。そうすると法と有法の分離が始まり、法が意識の現前に現れる。つまり表象像や感情といった内的な意識状態が意識化される。最初は集中が長く続かず、現前した法に有法がとらわれる。しかし集中を繰り返していると集中状態が持続し始める。この状態が長く続くようにするのに、特殊な呼吸法をしたりチャクラに対して集中したりといった、なかなかか秘教的なテクニックがあるけれども、基本は何かに集中することによって、法と有法を分離させる点にある。

もうひとつは、積極的に何かをイマジネーションすることだ。仏教の密教、たとえばチベット仏教や日本の真言宗みたいなところは、積極的にイマジネーションをする修行法がたくさんある。イマジネーションする場と法が意識化される場は同じなので、イマジネーションすることによって法が意識化されずに、法と有法が分離していく。イマジネーションを法と入れ替えるような感じだ。

仏教では前者を止、後者を観というのだけれども、流儀によっていろいろな手法があみだされた。

いずれにせよ、法と有法を分離させるには能動的な意識を作ることが絶対条件であり、能動的な意識が作り出したもの以外は幻想だ。瞑想していると、リアルなビジョンが見えて、霊的なビジョンだととらえやすいんだけれども、それは無意識が作り出したものである幻覚-法である。こういった魔境の対処法も、仏教ではいろいろ残っている。



     (2011年10月13日:
  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • FC2ブックマークに登録する
  • Buzzurlブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する

かしま鍼灸治療院
女性のための東洋医学
関連記事
  1. 無意識的瞑想と意識的瞑想
    仕事を終えてから瞑想関係のHPを見ていたら、アメリカで作られた有名な流儀の日本支...
  2. 瞑想の核心部分の構造4
    前回では止観の行の意味を考えてみた。仏教では止・観、どちらも流派によっていろんな...
  3. 瞑想の核心部分の構造3
    前回の 法(dharma) 有法(dharmin)にもとづく空観のアイデアの基本...
  4. 瞑想の核心部分の構造2
    前回にちょっとまとまらなかったので、瞑想の基本構造について少しまとめてみよう。 ...
  5. 瞑想の核心部分の構造1
    先日、シュタイナーの瞑想法理論を学ぶ講習会に参加し、シュタイナーというよりも、す...

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.kashima-hariq.com/MTOS/mt-tb.cgi/84

コメント(1)

う~ん、深まっていきますねえ。そうですねえ、チベット密教は、表象を利用し、最後にその表象さえも捨て去ることで、高次の領域に突入させる技法、テクニックである。つまり我々の低次の意識を騙しながら、進んでいく方法で、最も効率的な技法である。これ以上のものはないでしょう。

サンスクリット文字の表象自体に、ある種の微細な力を誘導するイメージが埋め込まれていて、これを脳裏に焼き付けて意識を誘導し、目的の状態に入る直前で破棄する。なぜなら、今度は表象自体が邪魔、妨害になるからである。高次の領域には、低次の意識イメージは存在できない。

コメントする